びーの日記

本とか、音楽とか、映画とか、絵とか。だいたいひとりごと。

移り変わる空と地上の話 夕日

 私は何かを恐れていた。今に始まったことではない。ずっとずっと、私には怖いものがあったし、それは大人になれば減るどころかだんだんと増えてゆくのだ。例えばこの赤、こんな風に晴れた日の限られた時間だけ、気まぐれに見かけるこの色が怖い。美しいものは恐ろしいなどと分かったように言い切りたくはないし、この傾いた天体の入射光を美しいと評するのは、議論を飛ばして結論の体裁だけ整えるようなものだと感じてしまうのだ。

 本能的な恐怖か。それで今、どうして私はあの赤に向かって歩いているのだろう。ここは田舎で、星空を遮る灯りはないけれど、低くなった陽の姿は建物に隠されてしまう。建物の隙間から滲み出るあの赤、その正体を突き止めに私は川に向かって歩いているのだ。あの場所は開けていて、とうに散ってしまった桜がただ並んでいるだけの場所だ。春先には人で賑わうけれど、植物に詳しくはない私の目に「木」としか映らない緑の葉を繁らせた姿になってしまっては、もう誰も立ち寄る者はいない。途中で引き返そうかと思った。そこはいつも車で通り過ぎるので、私の足ではなかなか辿り着かないことに嫌気が差してきたのだ。

 私には怖いものがたくさんある。変わることが怖い、取り返せない時間が怖い、変化がないことが怖い、予測できることが怖い、分からないことが怖い、ひとりが怖い、人が怖い、君の心が見えないことが怖い、君の考えを知ることが怖い。時計の音が怖い、戻れないのに進むことが怖い。ああまた歩けなくなる。

 私は立ち止まって空を見上げた。建物に隠れたそれの正体を、私は目にしないほうがいい。日没が太陽の死だとするなら、私にはとても直視できそうにもなかった。生きてきて上達したことと言えば、疑問を押し殺すことに物分かりの良いふり、それに言い訳くらいのものだった。そうか、案外あるものだな。こんな具合に真剣な話を茶化して向き合うことを避ける姿勢。つまらない、しかし自分の周囲はいつだって自分より上手に生きていた。誰ひとり、どうしてなんでと、子供じみた疑問を繰り返しはしないのだ。恥ずかしいことなのだ。

「どうしてそう思うの」

 その声はなんの感情も浮かべていなかった。君が初めて、私を正面からみた瞬間のこと。私が器用なら、きっとここでうまく切り抜けられた。しかし私は考えた、言葉に出した。君の声には無理に焚きつけたような熱がない。偽りのない体温があるだけだ。人の声とは、ここまで素朴に響くものなのだ。それは色のない声だった。媚も、称賛も、当たり障りのなさも、友好的な空気も、意図された物柔らかさも、人馴染みの良さも、敵意も、押し殺した憎しみも、何も、何もなかった。

「なんでそんなこと聞くの」

 私の声にも、今や被せた装飾は何もなかった。僕はね、と君が答える。なんでもない、それが会話なのだと。私は君になら、この整理されない感情と思考をありのままぶつけられると思う。私はこの赤が怖い。それは太陽の死ではないかと思う。夕日を見ると苦しくなるのは、戻らない一日の後ろ姿だからなのではないかな。

 

 滲む赤がその彩度を落としてゆく。思い出したように私は背を向けて、家路を辿ることにした。君にこの話をしよう。その暁には、日没と日の出をこの目で確かめに行こうと思う。